ネットに影響される人の日記

ネットに影響される人の日記

影響されたり、観たり、聴いたり、食ったり。

映画2022年11月

11月が終わりました。10月分はこちらです。

htnmiki.hatenablog.com

 

めっきり寒くなってきて映画館へ行くのも面倒ですが自宅で観ると寝ちゃうので行くしかない。しかし映画館へ行くとついでに外食もして太ってしまうし財布は痩せてしまう。世の中ままならないことばかりです。こんなんでよく40年以上生きてきたもんだ。というわけで11月分、行ってみましょう。

 

102. 恋人はアンバー
ヒョロガリでゲイ疑惑のあるエディとガサツで男勝りでレズビアン疑惑のあるアンバー。2人が同性愛に厳しい田舎町で疑惑を払拭して生き抜くために偽装カップルになる物語。心の内を共有しあえる人との出会いは何物にもかえがたい。とか言うとそれは同性愛に限ったことではないとか言われそうだけどそれを認めない社会つまり同性愛が違法だったアイルランドでの物語となるとやはり同性愛だからこその物語があるのだと思う。本作を観たあとに初めてこの舞台が「アイルランドで同性愛が違法でなくなってから2年後の1995年」であることを知った私に何が言えるのかという感じだけど。アンバーのキャラクターがとてもチャーミングで重苦しいストーリーの救いになっている。そのアンバーが新たな出会いをきっかけにエディとの偽装のキスをするたびに失われていく何かに気づいたときの表情は言葉にならない。みんなしあわせになれたらいいのにね。という感じでいい作品ではあったんだけどラストにモヤモヤするなど。ふたりは対等であるはずなのになぜアンバーが我慢しなければならないのか。それを受け取るエディもエディだよ。辛さ比べなんて無意味だけどエディが受け取ったそれはただのそれじゃねーぞ。わかってんのか。うーん、なんだかなあ……


103. パラレル・マザーズ
産婦人科で出会った出身間近のジャニスとアナはともにシングルマザーとなる決意をしており再会を約束するが病院で赤ちゃんの取り違えが発生してしまいそのことに気づいたときにはアナのもとにいたジャニスの子は乳幼児突然死という不幸に見舞われていてジャニスのもとにいたアナの子はアナに連れて行かれ何も残らないジャニスが辛すぎるという物語。まあ「家族とは」という話でもあるんだけど深刻な話がわりとサクサク進んでいくので心が追いつかない気もする。また、スペイン内戦の犠牲者たちの遺骨発掘の物語も並行しており終盤はむしろこっちがメインとなるため前半の「取り違え」と終盤の「スペイン内戦」の繋がりがいまいちわからずモヤるなど。各パートごとはとても見応えあったんだけどね。ジャニス役のペネロペ・クルスは相変わらず超絶美形で息を呑む。ジャニスの名がジャニス・ジョプリン由来ということでニンマリ。アナ役のミレナ・スミットは可愛らしいんだけどそのままホーム・アローンの主役ができそうなくらいマコーレー・カルキンだった。このふたりの百合シーンがとても良い。とても良い。(大事なことだから2回) 呼ばれてもいない人んちに突撃して仕方なしに部屋に入れてもらい「なにか飲む?」と聞かれてコーヒーやお茶でなく「コニャック」と答えられる人が世界にどれくらいいるのか気になる。


104. すずめの戸締まり
面白くないわけじゃないしわりと楽しんでる自分もいたけど私好みの作品ではなかったという感じ。この監督はファンタジックな作品よりもリアルに近い物語のほうが合ってるんじゃないかと。そして震災や過去の災害についてはまあこういう扱い方もあるかなと思う一方でどうしてもそれじゃなきゃダメだったんだろうかという思いもあって正直まだ整理できてない。おばさんの「本音」がオーバーキル過ぎて私が致命傷。いくら物わかりの良いすずめでもあれを引きずらないなんてあるんだろうか。そして全編通して猫の動機がいまいちよくわからなくて、にもかかわらず猫起点で進むので最後まで私が取り残されてしまった感。とはいえはやり映像は美しくてすずめのバカポジティブや都合が良すぎる道中の出会いや結局ノリの良いおばさんとの旅はロードムービー好きにはハマるのでそういう部分では楽しめた。人間の喪失と再起というか人間の持つ底力を信じているというかそういうものを描きたいのかもしれないしそれが世間に受け入れられているのもわかるけど次回作はそうしたものから離れてエンタメに振り切った作品を見てみたい。以下、気になる感想。
https://anond.hatelabo.jp/20221117061009
https://anond.hatelabo.jp/20221119161631
https://fubar.hatenablog.com/entry/2022/11/21/000532
https://anond.hatelabo.jp/20221120112217
https://www.saiusaruzzz.com/entry/2022/11/21/185214


105. ドント・ウォーリー・ダーリン
60〜70年代あたりのアメリカの砂漠地帯に開発された街、そこに暮らすのはヴィクトリー計画に従事する夫とそれを支える妻の夫婦たち。いずれの家庭も順風満帆で恵まれた生活を送っている。アリスとジャックの夫婦は所構わず盛った猿のごとく愛しあう。ある日友人のマーガレットが不安定になりアリスに助けを求めるがアリスは拒絶してしまう。なぜならアリスも「そこ」へ行ってしまったから。その後マーガレットの自殺を目撃してしまうが誰も信じてくれない。何かがおかしいと気づいたアリスは……という物語。理想や幸せは他人から与えられるものではないんだよなあ。謎の企業のトップであるフランクに迫るアリスがダイニングテーブルで対峙する場面のアリスの「やってやんよ!」的な不敵な表情がたまらんね。フローレンス・ピューはこういう表情が最高。終盤、ソードアート・オンライン的なネタバレがありちょっと困惑。どっちがいいんだろうな。リアルとバーチャル。まあ時流としてメタバースなのかなあ。アマプラの「ペリフェラル」を見てるところなので正直「またかー」感もあったり。この世界が男性主導で女性のモノ化の極みなんだけどラストでそれが覆りそうな展開が見れて面白い。とりあえず気持ち悪いクリス・パインがなかなか良かったのでヨシとしますかね。


106. ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー
あれ? アバター見に来たんだっけ? というのは8割の人が思うので置いといて、チャドウィック・ボーズマン亡き後のブラックパンサーです。ワカンダにしか無いとされていたヴィブラニウムがとある技術者が作ったショボい探知機で海底に存在することが判明してCIAが採取船で現場に向かうと未知の勢力により襲われ一人も残らなかった。CIAはワカンダの仕業と見るが実は海底帝国タロカンによるもの。タロカンの文化もヴィブラニウムによるところが大きくその存在がバレると危険なのはワカンダの例を見るまでもない。タロカンの指導者ネイモアはワカンダに侵入しラモンダとシュリに「探知機を作った技術者を探し引き渡す」ことを強要する。シュリとオコエアメリカでサクッと技術者を見つけるがタロカンに引き渡すと殺されるためワカンダへ連れ帰って保護するつもりがタロカンに襲われ技術者とシュリが攫われる。という物語。おもしろいんだけどいまいちノリ切れなかった。というのもワカンダは技術力による文明はとてつもないけど結構トラブルメーカーというか肩入れしずらくて。今作はタロカンに正当性がないと展開しないのであえてそういうポジションにしてるとしても自業自得じゃねみたいなのを見せられたあとに超神水飲んで無敵MAXみたいなのがちょっとね。毎度のことながらラストに今後の匂わせもあったので次回作を早く観たいですね。


107. ファイブ・デビルズ
不穏な空気が好きな人にオススメです。特殊な嗅覚を持つ少女ヴィッキー。母ジョアンヌ、父ジミーと3人で暮らす家にジミーの妹ジュリアが10年ぶりに現れてから家も村も空気が一変する。ジュリアは過去に放火で体育館を燃やし犠牲者まで出していた。そして叔母ジュリアと母ジョアンヌはかつて愛し合っていた。そうした母の過去と叔母の過去、ヴィッキーは香りをたよりに叔母ジュリアの過去にリアルに干渉できてしまった。かつて体操部のチームメイトだったナディーヌは父ジミーと愛し合っていた。要するに小さな村で男女関係がぐっちょんぐっちょんなわけですよ。さっさと村から出ていけばよかったんだろうけどなかなか難しいんかなあ。少女ヴィッキーには刺激的すぎる彼らの過去に自分が存在していいのか不安になり間違った方向で能力を発揮してしまうし、ある危機を切り抜けるためにも使っちゃうし、とにかくヴィッキーのメンタルが心配でならない。大人たちしっかりしてくれ。結局ハッピーエンドとはいかないものの4人はそれぞれの人生が続くのに対してナディーヌだけまったく救いがなさそうなのがきつい。ただひたすら被害者だろあれじゃ。不穏で重苦しい空気がとても心地悪いんだけどそこが好き。ただ、結構わからないところもあったのでネタバレ解説を聞きたい。ラストのあの子はいったい。ちなみに(ちなみに?)尻とおっぱいが素晴らしかったです。


108. ザ・メニュー
専用の船に乗り行くことができる孤島の高級レストラン。その日、集まった客たちそれぞれの思惑が次第に明らかになっていく。そこにはカップルと思われるマーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)とタイラー(ニコラス・ホルト)もいた。彼らの誤算は厨房を取り仕切る有名シェフのジュリアン・スローヴィク(レイフ・ファインズ)の企てに気付かなかったこと。シェフの強烈なこだわりの説明を聞き食事を進める中、グルメキチガイのタイラーは興奮が止まらず、マーゴは呆れ気味。パンの無いスプレッドを提供されさすがに一言物申す客もいたがこのあたりで一気に不穏な空気に包まれる。続く一品はスーシェフ考案のメニュー。シェフにより紹介されるが結果的にただの人格否定人生侮辱でスーシェフはその場で隠し持っていた拳銃をくわえて頭を撃ち抜く。大狂乱の客たちだがフルコースは続いていく。という物語。この後もそれぞれの客たちの人生が暴かれていくが、金を持ってるだけの傲慢な人間、品のない人間、自身の傑作を消費されるだけのシェフが最後に完成させるメニューは、という皮肉が詰め込まれた作品です。いや、それを装ったギャグ映画かもしれない。どちらにしてもとても面白かったし料理に限らず訳知り顔で対象を消費し批評している玄人面した人たちに冷水を浴びせる作品であることは間違いないと思う。いちいち感想をネットに上げてる私も含めて。最後にマーゴが「普通のチーズバーガー」を求めそれを作るときのシェフは何を考えていたのかわからないけど少なくともマーゴとシェフは幸せだったように思う。明らかに一線越えてしまっていることがわかるシェフの表情がたまらん。「シングルマン」で初めてニコラス・ホルトを見たときはこの世のものとは思えない美形で衝撃を受けたが今作では気持ち悪いとしか表現できないグルメキチガイにしか見えなくて最高。今後スモアを見るたびに笑ってしまいそう。


109. ザリガニの鳴くところ
金持ちの青年チェイスの死体が発見された。疑われたのは湿地帯に暮らす少女カイア。彼女は幼い頃に家族に捨てられたったひとりでサバイブしてきた。その頃に出会った少年テイトと湿地の動植物についての知識などをたよりに心を通わせるようになるがテイトはこの地に将来は無いと感じ都会へ進学することに。必ず戻るとカイアに約束するがその約束が果たされることはなかった。失意のカイアに新たな風をを吹き込んでくれたのが冒頭の青年チェイス。初手からいけ好かないオーラ全開のチェイスに観客(私)は不安になるが……という物語です。幼少期と現在がちょいちょい切り替わる形式だけど見づらさを感じなかった。カイアの内面にそっと触れるテイトに対して暴力的にも映るチェイスの描かれ方が極端かなとも思ったけど嫌な奴がちゃんと嫌な奴だとホッとする客の心理的には正解っぽい。「湿地の娘」として街では差別されてきたカイアに唯一手を差し伸べてくれた商店の夫婦、そして弁護人を引き受けてくれたミルトン、控えめに描かれる彼らとの関係にやられた。終盤の最終弁論で検察は推測と印象論に終止して決定的な証拠がないことを突きつけるミルトンはさらに街じゅうが差別してきた「湿地の娘」の実態を陪審員に語りかける。法廷モノにはよくあるシーンだけどミルトンのキャラクターが生きていて素晴らしい。方向性は違うけど「評決のとき」を思い出すなど。ラスト、テイトが見たものに何を思ったのか。というわけで傑作ですわ。実は原作をだいぶ前に購入済みだったんたけど、ええまあそういうことです。積んでます。いかんなあ。カイアの幼少期の子の笑顔がトーマシン・マッケンジーに似ていてメチャカワでした。


110. ナイトライド 時間は嗤う
全くアンテナに引っかかっていなかった作品ですがお気に入りの映画ウォッチャーの方がいい感じのツイートをしていたので観てきたら当たりでした。ヤクの売人バッジが恋人ソフィアとの将来のために足を洗う。その前に最後の大仕事。フラグだよねー。夜の街を車で流しながらスピーカーフォンで入れ代わり立ち代わり仲間や友人や恋人や取引相手と話をしつつスムーズに取引が進むと思われたがヤクを載せた車を仲間が奪われてしまい大騒動に。取引相手は街の黒幕、こちらから報告するまでもなく取引中止。ヤクの奪還と新たな取引相手を探すのが急務だが時間がない。という感じでスリリングな展開なんだけど夜の街は静かで妙なアンバランス感が悪くないというか好き。そして本作は全編ワンカットで撮られているのも面白い。序盤の運転シーンはカメラがボンネットに乗ってるはずで、降りると人に追随して、また乗るとボンネット視点で、あるタイミングから助手席視点になったりで、カメラの移動は想像出来ても途方もなさすぎてクラクラする。「カメラを止めるな!」みたいにメタカメラ版も見てみたい。


111. シスター 夏のわかれ道
看護師として働きながら医師になるため北京の大学院進学を目指すアン・ランのもとに両親が自動車事故で亡くなったと連絡がある。生き残った弟ズーハンの養育を親戚一同に押し付けられるアン・ラン。ふたりはこのときが初対面だった。男子を望む両親が授かったのが女子アン・ランだった。一人っ子政策において第二子を望むことは叶わないが例外(抜け道)がありアン・ランの足に重い障害がある「ことにして」第二子希望書?を出すために当局の監査を受ける日にアン・ランは障害の「ふり」ができず両親との溝は決定的に。(おそらくアン・ランは捨てられて)その後に生まれたのが男子ズーハン。そんな子の養育をしながらの大学院進学など到底できない。女であることで存在を否定され、その上会ったこともない弟のために将来を奪われることなんて許容できない。という感じで始まる物語です。基本的に大人たちがクソすぎるというか特に女だから我慢させられるという社会がキツすぎる。クソだらけの中で伯母さんだけは寄り添うスタンス。伯母さんもまた女というだけで我慢させられた人生なのでアン・ランを諭すような場面も。その上で最終的にアン・ランに自分の人生を生きなさいと伝えるシーンは目汗ヤバかった。この伯母さんの人生でもう1本撮れそう。クソガキズーハンとアン・ランとの関係が徐々に深まっていく様子もじんわりポイント高い。靴を履かせるシーンも目汗ポイント。正直なところ、しなくていい苦労をさせといて、結果的に良かったね、みたいな話はあまり好きじゃないんだけど、本作はアン・ラン、伯母さん、ズーハンの感情の揺れ動きにやられたので観てよかった作品ですね。クソ伯父さんが実は一番の理解者だった?みたいなのもベタだけどたまらん。ただ、ひとつだけ小言を。とても良い作品だったんだけど最後がなあ。伯母さんが人生かけてここで終わらせようとした女性差別の歴史が結局続くだけだった。アン・ランの最後の涙にはそれも含まれていただろうし女性監督があえての皮肉でそうしたのかもしれないけど、救いにはなってないラストなんだよなあ。せめて明るい未来を見せてくれたら大傑作だったんだが。


112. 母性
こんな気持ち悪い話を書いててよく気が狂わないなという作品でした。湊かなえの持ち味なんだろうけど。母親(大地真央)から愛情たっぷりで育てられたルミ子(戸田恵梨香)はそれ以上に母親を愛し母親に依存し心身ともに離れることが何よりも恐怖だった。ルミ子は結婚するがその決め手は母が気に入った絵を描いた人だから。ルミ子に娘が誕生して母がそうしてくれたように愛情たっぷりで育てると思いきやルミ子にとっての一番は依然として母だった。という物語が娘(永野芽郁)の視点とルミ子(戸田恵梨香)の視点でそれぞれ描かれる。子供が生まれても子供のままだった系はどこまで遡ればやり直せるんだろな。まあ母親(大地真央)が無邪気すぎたというのはあるか。ルミ子の口から娘の名前が出てくるまでが長すぎてキツイ。そして異様なほど存在感のない父親。そして存在感がありすぎる姑。毒親、女・嫁の役割、こんなん斗比主閲子が解説するしかないのでは。ルミ子の夫のクズっぷりが度を越していて娘とのシーンは血の気が引く。おもしろいかおもしろくないかでいえばおもしろいんだろうけどわざわざ気分悪くなるために観なくてもいいかなあ。

 

ではまた12月分で。

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