枝打ちの事故で亡くなった人を、 穢れだって言って、 その喪屋に置くんだよ。 そういう場所なんだよ。
畿央地域の山間にある人見 (ひとみ) 村。 衰退の一途を辿るこの村の林業と、この地で古くから行われてきた喪屋(もや) における葬儀。この2つの伝統を担ってきた中谷家と、8年前に都市から越してきた杉山家は親戚関係にあったが、杉山がコンサルタント業を人見村に持ち込んだことで、家族間の溝は深かった。ただ、同い年の高校生の娘たちは、子どもの頃から親友のような存在である。
杉山の娘・遼は、母の形見である一眼レフカメラを愛用し、村に暮らす人たちのポートレートを「遺影」と称して撮影してきた。中谷の娘・修子は、 遼の写真が大好きでいつも率先してモデルになった。そんな修子と遼が迎えた高校三年生の夏。
この小さな田舎でセンセーショナルな出来事が起きる。それは、村に暮らす大人や子ども、すべての無名人たちの未来を、哀しみを伴う希望で包んだ。
少し前に舞台を観たときにもらったフライヤーの中に「秋田汐梨」という名前を見つけて、2019年に観た映画「惡の華」でヤバい役者がいるもんだなと思った人だったのですぐにぴあを検索したら土日のチケットが売り切れてなかったのでポチッとしてみた作品です。あとで知ったんだけど乃木坂46の人(筒井あやめ)やジャニーズの人(林翔太)が出ている舞台が直前に土日のチケットを取れるのはコロナのおかげなのかねえ。
田舎で平和に暮らしていた修子(秋田汐梨)と遼(筒井あやめ)はいとこで親友。遼が高校生写真コンテストで優勝したことは修子にとっても自慢できることだった。地元の短大に進学するのが常識のこの田舎で遼は東京の芸大への進学を希望する。そのことを相談もされず思わぬ形で知ることとなった修子。親友の遼が夢に向かうことで自分から遼が離れる不安や将来への焦りから修子は雑に「私も東京に行く」と母に告げるが、母は「遼ちゃんは写真の才能があるが凡人のあんたに何もない、無理無理」と聞く耳を持たない毒親しぐさ。こうしたこともあり修子は遼にきつくあたり二人の間に初めて距離ができる。いやー、ベタなプロットですなあ。しかしこれだけわかりやすい物語で全く飽きさせずに見せるのは役者、脚本、演出のチカラか。正直ここ数年でいちばん好きな作品になったかも。脚本の横山拓也の作品は初めてかな。あまり奇をてらったことをせずにストレートに書かれた物語に、寺十吾の演出なのか息抜きの笑いが適度に配置されていて、結果的にわりと重い話なんだけど実態以上にテンポ良く感じられた。横山拓也の作品はまた観てみようと思う。「惡の華」で既に仕上がってる感があった秋田汐梨。映像作品と生の舞台は別物だけど舞台の空気に押されることなく顔の表情も声の表情も微妙なニュアンスを丁寧に演じていてもはや安心感のあるレベル。初舞台だそうだがやはり末恐ろしい。そして筒井あやめ。グループ以外の舞台は初だとか。こういう言い方はアレだけどいわゆる「アイドルのおためし舞台」かと思って観ると土下座したくなるでしょうね。前述の秋田汐梨がヤバい役者なんだけど全く霞むことなく正真正銘のW主演を果たしていた。秋元軍団は人数が多いだけあっていろんな人がいるもんだねえ。びっくりしたわ。脇を固める山中崇と梶原善は言うまでもなく。他の役者たちも良かった。これだけ1ミリも違和感のない座組というのもなかなか珍しい気がする。ちなみにこの作品、たしかに遼と修子を中心とした物語なんだけど、終わってみたら修子の弟である一平(大西由馬)が全部持っていくというか、タイトルも含めて一平の物語となっていて、やられたわー! という気持ちです。
今年の観劇一覧。
で、せっかくのお出かけなので美味いもん食うシリーズですが、この公演が池袋の東京芸術劇場だったので友誼食府を初訪問してみました。別記事に書いたのでそちらをどうぞ。
で、昼ごはんを食べて開演時間までの時間つぶしにいい感じのカフェでも探そうかと思ったけどこの日は案外暑くて出歩くのも面倒だったので久しぶりに池袋東武のタカノフルーツパーラーに。なんとなく勢いで「さくらんぼと苺のパフェ」にしてしまったけど氷成分が多くて体が冷えた。美味かったけど、プリンアラモードにしておけばよかったかも。
で、観劇後に東京芸術劇場前のグローバルリングカフェでマンゴージャスミンティーを飲みつつ作品の振り返りなど。テラス席で気持ちよかった。
ごち。